はなす言葉とかく言葉

昔から会話をするのが苦手だった。

 

まず人に興味がない。

人のもつ物語や話には興味があるけれど、あの人はどうだとかあういうところが嫌いだとか不潔だとか、そういう話は好きじゃない。自分に自信がなく、他人の悪い点を指摘すると自分のことも否定してしまう事になるし、なぜそこまで自信を持って他人を貶すことができるのかよく分からなかった。

いまは彼らや彼女たちはそれらの気持ちを「軽い」気持ちで「共有」し、コミュニケーションの一部として、仲を深めているらしいことが理解できるようになった。他人をだしにして自分たちの仲を高める…小さい頃から嫌いだった排他的なスクールカーストのようだと思う。

そんな人たちはたわいもない会話を永遠と続ける。何が楽しいのか分からないけれど、どうでもいい他人の情報を共有し合って何かを知った気になって笑っている。彼女たちにとってはその情報こそがこのコミュニティを生きていくために必要不可欠な情報であるらしい。どうでもよく聞こえる情報は重要な情報であるらしかった。

私にはそれが本当に今でも理解出来ない。だからこそ他人を許容できず、自分の中で不満を募らせ、大きな制御できない感情になってしまうまで育ててしまうのだろうか。軽口として話してしまえればその場で消化していける感情たちを中に閉じ込めてしまうから。どこのコミュニティにいる時も自分の不穏さを感じていながら知らないふりをして自分を保ち、駄目そうになるころに次のコミュニティに行き、過去は修正された美しい(美しかったような気がする)思い出となる。

 

今日もうまく話すことが出来なくて失敗した。自分のなかだけにとじこめておければよいものを、感情がすぐに顔に出てしまう性質で、何も言わなくても怒っていることだけは伝わってしまう。普段から話すことをしないのでどのように話せばいいのか分からない。どこまで話していいのか分からない。小さい頃に失敗をして済ませておくべきようなことを、大人になり社会に放り出されてしまった今もできない。恥ずかしい限りだ。

 

しかし言葉を書くのは好きだ。考える時間があるし、読み返して落ち着いて言葉を直すことも出来る。誤解を与える表現はないか、文は長くないか、人を傷つけてしまうことはないか。何よりも自分の速さで思考することができる。

会話はそうはいかない。発言しないと相手を待たせてしまうし、楽しい会話にはテンポが必要であるらしい。私が同意している間に他の人は会話に会話を重ねて話しを進めている。考える時間が足りないので言葉はいつも自分の感情のこもっていない上滑りしたものになってしまう。頭は真っ白で浮かんだことをてきとうに話してしまうので、自分の思いとは違うことも言ってしまい、後悔したり誤解を与えたり、思っていたことと違う意見や考えを持った人として見られてしまう。そして一度放った言葉を取り消すことはできない。

人はその人が話したことがすべてだ。有名な賞を獲っていたって、素敵な猫を飼っていたって、最近可愛いコスメを買って嬉しくたって、言わなければ他人には何も起こっていないのと同じだ。全てを知らせる必要はなくても、話す情報を選択してイメージしてほしい自分を形作ることはできる。私はそれが出来る人が羨ましくて妬ましい。私が今日も会話で上手くいかなかったと後悔している間に、その人は今日も確実に自分に有利なイメージをつくり、「仲間」との日々を日々を過ごしやすくしている。

 

言葉を書こうとするときはこんなにするすると出てくるのに、話そうとするとすべてがゼロになってしまうのはなぜだろう。人に興味を持とうと思って心理学を学び、日本語の表現を知らないから喋れないのかと日本文学を学んでたくさんの表現と語彙を見てきた。けれどまだ足りない。喋れば喋るほど考えれば考えるほど自分の言葉から離れて行ってしまう。

 

いつか以後一切喋らなくても良いようになりたい。

自分の心に限りなく近い、ほとんど完璧な言葉を  一言、放って。